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お知らせ

2017年震災を忘れないスタディツアーinふくしま 報告

【2017.12.06 更新】

実施の目的

 東日本大震災の被災地の現状を、自らの目で見て、現地の方と交流して学ぶこと。滋賀県に戻って被災地の現状と、私たちができることについて、一人でも多くの方に伝えることを目的に実施しました。

参加者

 組合員:40人、役職員:8人、事務局:2人 (合計40人)

ツアーの行程と内容

 日程:2017年11月18日(土)~19日(日)

11月18日(土)

・京都→米原→東京→福島駅

 【浪江町 駅周辺及び請戸周辺 視察】

 【富岡町 子安橋周辺視察 ※第二原発を遠くに見る、
  夜ノ森桜周辺の視察】

 【いわき宿泊】 夕食交流

11月19日(日)

 【白水阿弥陀堂観光】

 【塩屋崎灯台見学(薄磯地区被災地)】

・いわき泉→品川→米原→京都駅

1日目(11月18日)

 ルートは、福島市から川俣町、飯舘村、南相馬ICから常磐自動車道に入り、浪江町と、富岡町巡るコースでした。車中では、コープふくしま宍戸常務より、被災地の様子を詳しくガイドいただきました。線量計10台をお借りし、バス移動中の車内でも、線量の変化を見、参加者は目に見えない放射線を実感しました。道中、いたるところにグリーンのシートに覆われたフレコンバックが野積みされています。

▲線量計を借りて放射線量を見る ▲グリーンシートの下は汚染土のフレコンバック

 常磐道には放射線量計が一定区間毎に設置してあります。南相馬から浪江に向かうと、少しずつ放射線量は高くなっています。

 浪江町に設定されていた居住制限区域及び避難指示解除準備区域は、2017年3月31日に解除されました。しかし、解除後8ヶ月たっても駅前商店街で営業している店はガソリンスタンドぐらいで、人影もほとんどありません。

▲浪江駅周辺の商店街 ▲浪江駅前 人影はツアー参加者のみ
▲浪江町請戸地区から第1原発を臨む ▲富岡町 夜ノ森の桜並木

 冨岡町を後にし、宿のホテルハワイアンズに到着。夕食懇親会では、福島のご馳走に舌鼓を打ちながら、ツアーで印象に残ったこと、福島への想いなどを交流しました。夕食後、復興のシンボルでもあるフラガールによるショーを鑑賞し、復興に向けた力強さや元気を感じました。

▲夕食懇親会で1日目の感想を交流 ▲フラガールによるダンスショー

2日目(11月19日)

 ツアー2日目は、福島の観光して、素晴らしい福島を実感しました。
 「塩屋崎灯台」は、明治32年(1899年)に開設され、映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった灯台です。灯台の麓の薄磯地区は地震後の大津波によって、一帯の住宅が軒並み流される大きな被害を受けたそうです。

▲国宝の白水阿弥陀堂 ▲塩谷崎灯台

参加者の感想(抜粋)

中高生の感想

・子どもたちの現状などしれて、多く学べるものがたくさんありました。もし、自分がここに住んでいたら、外で遊べなくて苦しんでいる子どもになっていたら・・・。と考えると、やっぱり私たち若い世代が、大きく受け止め、次の世代へ繋いでいくことが大切だなと思いました。
・黒く大きな袋が民家のすぐ隣にあった事が1番心に残りました。自分の家のすぐそばに危険なものがある。考えただけで恐ろしく、怖くなりました。原発という大きな課題が福島にはありますが、あきらめず、一歩一歩復興に近づけばいいなと思います。
・滋賀県と福島県という遠い距離ですけど、ずっと応援しています。復興しても、みなさんの心の傷が癒えることはないと思いますが。1日でも早く幸せな毎日がおとずれますように・・・。
・震災を忘れちゃダメだということを、いろんな人に伝えていきたいと思いました。
・「福島産の食べ物」っていうことだけで敬遠されるのはおかしいと思った。皆が福島のことをもつと知っていけば、福島の野菜も安全だってわかるのにと思った。

大人の感想

・もし自分が被災したら、すぐにその土地を離れ避難するだろうって思ってきたのですが、それでも、そこにとどまるのは、行くところがないからではなく、自分を犠牲にしても、ふるさとや他人を思う心で、そこに住んでおられる事がわかりました。
・復興に向け、私たちが出来ることは、福島の現状を伝えること、福島の物産の購入や観光、そして原発も問題にきちんと向き合うことです。今すぐには出来ませんが、ずっと考えていきたいと思います。
・福島コープの3人の方をはじめ、行政の方や保育士さんにお出会いして福島につながりが出来た気がします。コープしがのみなさんとの出会いも、はじめは知らない者同士が2日間でぐっと近くなりました。ありがとうございました。生協の組合員で良かったです。
・現地に入らないと見えてこないことがあります。この機会を与えられたこと本当良かったと思っています。少しでも多くの人に伝えて、原発事故の恐ろしさ、遠い福島で先の見えない生活にも頑張られている人達を忘れてはならないと思いました。印象に残ったことは、「冷静に」という言葉を使われた事です。大切なことです。
・福島のお土産を買い、それもって、お友達や職場のみんなに福島の現状をお話するだけでも、復興のお手伝いになると勉強になりました。福島の農産物も放射線測定して安心できるということもわかったので、これからも私自身買っていきたいし、風評被害に惑わされないでと言いたいです。

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