全国の生協が加盟する日本生活協同組合連合会(日生協)では、毎年、戦争・被爆体験の継承や、世界の戦争や紛争、基地問題、憲法など、多様なテーマで平和を考える「ピースアクション」が開催されています。
コープしがは、平和政策で「過去の歴史に学び、命の尊さを考え、お互いの人権を守り、自然と共生し、安心できるくらしづくりをすすめます」と掲げています。人類に平和の保障があってこそ、一人ひとりが大切にされ、豊かなくらしと未来を築くことができます。そのためには、一人ひとりが「命の尊さ」を考え、「お互いを認め合い」「思いやりと協調を大切にした心」をもち、多種多様な取り組みに関心をもつことが必要と考え、沖縄や広島、長崎で開催されるピースアクションに、毎年、組合員と役職員を派遣しています。
今回は、3月に実施されたピースアクション in オキナワ「沖縄戦跡・基地めぐり」のレポートから、住民を巻き込んだ沖縄戦の歴史と米軍専用施設が集中する沖縄の現状をお伝えします。
沖縄は、日本で唯一地上戦が行われた地。3か月間に及んだ戦いで20万人を超す死者を出し、一般住民の4人に1人(9万4,000人)が命を落とした壮絶な戦いでした。日本軍の組織的な戦闘が終結した1945年6月23日は「慰霊の日」と定め、沖縄戦犠牲者の霊を慰め世界の恒久平和を願う日となっています。
トーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)。高さは約1m、内部は2m四方で大人が3名ほど入れる広さ。銃眼が2か所あり、そこから小銃や機関銃などを出して米軍を攻撃しました。
標高わずか92メートルの丘をめぐる16日間にわたる戦いでは、嘉数集落も戦いに巻き込まれ、住民の半数以上が亡くなったと伝えられ、日本とアメリカの数千人の兵士が命を落としたといわれています。現在は「嘉数高台公園」となり、日本軍が築いたトーチカや陣地壕などが残る沖縄戦の悲惨な歴史を伝える場所となっています。
読谷村波平地区にある鍾乳洞。「米軍につかまれば残酷な方法で殺されるから、いざとなったら死ぬように」と言われていたことに加え、竹やりを持ってガマから出て抵抗した住民が殺されたことが引き金となり、肉親相互が殺しあうという凄惨な「集団自決」が行なわれた所。140名中83名が集団死し、その半数以上が18歳以下の子どもだった。
住民の多くは、この「チビチリガマ」と「シムクガマ」に分かれて避難しましたが、もう一方の「シムクガマ」では、ハワイからの帰国者2人が「アメリカ人は人を殺さないよ」と、騒ぐ避難者たちをなだめて投降へと導き、1千人前後の避難民の命が助かったそうです。
辺野古の対岸に位置する瀬嵩の浜。辺野古の海が見渡せ、奇岩の上の松の木が印象的なビーチ。
1996年、米軍普天間飛行場の全面返還について日米両政府の合意後、基地の代替地として名護市辺野古への新基地建設が返還条件になったことから、地元住民の反対運動が始まりました。2019年に行われた「辺野古埋め立て沖縄県民投票」は、投票率52.48%、「反対」が有効投票数の72.15%を超える結果となる一方で、国は辺野古への新基地建設を進めています。
沖縄戦での苦しみ、基地がある故に今も続く被害を学び、戦争しない努力を訴えることが、沖縄で平和を考えるということだと思います。押しつけられて平和を考えるのではなく、知ることで自ら考える人になる第一歩だと思います。
平和募金は、長崎や沖縄で開催されるピースアクションの活動費用に充当し、参加いただく方を組合員みんなで応援する趣旨の取り組みです。