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組合員活動情報

オンライン「県内戦争遺跡巡り」を開催しました

【2021.08.03 更新】
オンライン「県内戦争遺跡巡り」を開催しました


コープしがでは、いのち*たいせつ活動として、例年、「県内戦争遺跡巡り」を開催しています。昨年は、感染症の拡大の影響で実施できませんでしたが、今年はオンラインで開催しました。滋賀県での戦争体験や、戦争の歴史を学び、次代を担う子どもたちに継承する機会になればと考えています。

開催日時:2021年7月31日(土) 10:00~11:30

内容:

■布引掩体群、冲原神社の紹介
 東近江市文化スポーツ部 歴史文化振興課 課長補佐 嶋田直人 様
■米原列車豪の紹介動画の上映
■滋賀県平和祈念館の紹介と滋賀の戦争のお話
 滋賀県平和祈念館 主査 上田智史 様

布引掩体群、冲原神社の紹介


▲東近江市文化スポーツ部 歴史文化振興課 課長補佐 嶋田直人 様



陸軍八日市飛行場:
大正4年の日本初の民間飛行場として設立されましたが、その後資金難と技術者不足から運営が困難に。世の中が戦争に向かう時代背景もあり、大正11年に陸軍の飛行場を誘致しました。第2次世界大戦中に鈴鹿山脈を越えてくるアメリカの飛行機を迎え撃つ役割を果たしていたそうです。戦況が悪化するにつれて本土決戦に備え、飛行場の周辺には飛行機を温存するための掩体(飛行機を隠す施設)が数多くつくられました。


掩体群:
近畿に残るコンクリートの掩体は3つ(うち2つが八日市)。東近江市布引丘陵には、2キロの範囲に17の掩体がありますが、全て個人の持ち物です。東近江市では所有者には、掩体の貴重さをご理解いただき、保存していただけるようお願いすると同時に、一般の方にもこの価値と存在を知っていただくよう活動をされています。


嶋田さんによる掩体のガイド動画はこちら



冲原神社:
陸軍八日市飛行場の中心に位置し、飛行の安全を祈願するために祀られた神社。
現在も、陸軍八日市飛行場の本部機能のある建物の営門が残っています。(戦後取り壊しの際、保存のため移設)


嶋田さんによる冲原神社のガイド動画はこちら



▲「戦後75年、ここに飛行場があり、飛行機が飛び立っていったこともだんだん忘れられようとしています。掩体や冲原神社の存在は、当時の飛行場の姿を想像する貴重な手がかり、きっかけになっています。コロナがおさまったら、ぜひ皆さんと現地に行きたいです。(嶋田さん)」


【参加者からの質問】
・戦時中滋賀県内にはどのくらいの飛行場があったの?
▶大津、八日市、多賀の3か所です。
・なぜ、陸軍の飛行場なの?
▶日本の軍隊は、海軍と陸軍だけで、空軍はありませんでした。ゼロ戦(ゼロ式艦上戦闘機)は、旧日本海軍の戦闘機です。掩体も、海軍と陸軍では作りが異なりました。


滋賀県平和祈念館の紹介と滋賀の戦争のお話


▲滋賀県平和祈念館 主査 上田智史 様

滋賀県は、びわ湖や伊吹山など空から見て特徴的な地形だったことから、空襲が多かったそうです。空襲と聞くと爆弾と思うかもしれませんが、一番多かったのは、機銃掃射(飛行機から機銃弾を撃つ)でした。

滋賀県の空襲被害:
死者50名以上、けが人180人以上
列車、軍需工場、軍需施設が標的になりました


機銃弾:先端部分が回転しながら飛んでくるので被害が大きい


▲この先の部分だけが回転しながら飛んでくるんです


焼夷弾:日本は木造建築が多いため、火事を起こすための爆弾。油が入っており、なかなか消火できなかった




模擬原爆:アメリカ軍が、形や大きさの同じ爆弾を使用し、長崎に原爆を落とすための訓練をしました。どのように落ちるか、どのくらいのスピードで逃げなければならないのかなど、実験していたと言われています。

 



滋賀県での戦争体験のお話:動画を視聴しました。

しがけんバーチャル平和祈念館では、貴重な戦争体験者のお話を、戦争の記憶を語り継ぐ資料として映像にしています。

しがけんバーチャル平和祈念館は こちら


最後に、石垣りんの詩の一説を紹介してくださいました。

戦争の記憶が遠ざかるとき、戦争がまた私たちに近づく

全文はこちら


■米原列車豪の紹介動画の上映


視聴はこちらから




▲「戦時中の話を聞いて、戦争のない今の時代に生まれてよかったなと思うだろうが、それで終わらないでほしい。戦争のない今の世の中が、ずーっと続くために私たちは何ができるのか?考えてほしい。過去を知るからこそ、未来を作ることができる。」と満嶋副理事長



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