本文へ

組合員活動情報

◆ミニコープ富士見台と組合員活動◆

【2021.07.05 更新】
ミニコープ富士見台と組合員活動

「ふれあいサロンなないろ」は、お世話係の高齢化、新型コロナウイルスの感染拡大ともろもろの事情が重なり、2020年に入ってからは集まることが困難になってきたことから、2021年3月、約20年間の活動に幕を降ろしました。

活動を終えるにあたり、長年お世話になったお礼にと施設の大掃除をされました。たくさんの思い出の品々を処分しスッキリした半面、寂しさもひとしおで、思い出話はいつ果てるともなく続きました。



▲掃除を終えたみなさん


組合員の数だけ生協への願いや期待があり、今日まで多くの組合員が役職員とともに生協運動をすすめてきた、一例ではありますが、長きにわたり大津市富士見台地域で生協事業と活動に携わってこられたみなさんのお話は、生協が”願いの実現のために組合員が手を結んだ組織”であると改めて感じることができる貴重なお話でした。これまで活動の中心を担ってきた大西さんをはじめとする組合員のみなさんの40年にわたる活動を少しご紹介します。

 

 


生協の良さを組合員、地域の方に伝えていく

ミニコープ富士見台は、コープしがの前身生協のひとつ、大津生協時代の1982年に「くらしのセンター富士見台」としてオープンした25坪の小さなお店でした。お店を始めるにあたり組合員拡大をすすめていた1981年、地域の組合員で運営委員会(※1)を発足しました。運営委員会のメンバーは、生協をPRするために毎週開かれていた青空市の手伝いや、組合員拡大の戸別訪問、京都や奈良の生協のお店見学等、役職員と一丸となって精力的に取り組まれたそうです。「当時、雪の舞う中、組合員理事と一軒一軒訪ねました。『生協ってどんな宗教ですか』と尋ねられることもあり、地域の方々の反応は、決して好意的ではなく、寒さがいっそう身に沁みました。」と大西さんは思い出を話されていました。


1982年、大津生協の1号店となる「くらしのセンター富士見台」が開店しました。オープン初日には目標の組合員数を何とか達成できましたが、その後も運営委員のみなさんは、パート職員が見つかるまで野菜の袋詰めや品出しを手伝ったり、店頭での試食会、添加物テスト、学習会などを開催したり、雑貨の販売を手伝うこともあったそうです。本の貸し出しコーナー、「声の箱」の設置など、「どうすれば生協会員や売り上げを増やせるか」みんなで考え、地道な活動を積み重ねる毎日は大変だったけれど、楽しい思い出だとみなさん口をそろえられます。



▲お話を伺った方々


お店が危ない

1993年、県内にあった4つの生協(大津生協、湖南生協、東部生協、北部生協)が合併しコープしがが誕生しました。小型店は「ミニコープ」に名称を統一し、くらしのセンター富士見台も「ミニコープ富士見台」と名称が変わりました。当時、ミニコープと呼ばれる店は富士見台を含め7店舗で、どの店も経営に苦戦していました。ミニコープ富士見台も例外ではなく、2000年に「ミニコープ富士見台をよくする会」が立ち上がりました。オープン当時ともに汗を流した実行委員会のメンバーも集まり、現在に至るまでこの方々が中心になって「ふれあいサロンなないろ」を担ってきました。

「赤字が続くと閉店になってしまうことを組合員に訴え、一品でも多くの利用を呼びかけました。組合員には、毎月のように学習会や試食会を企画し、利用高の向上を願い、赤字解消に頑張りました。」と大西さん。しかし、その甲斐もなく2007年、ミニコープ富士見台は閉店、2013年には全てのミニコープが閉店しました。地域に根を張り生協事業と活動の一時代を支えた小型店はその役割を終えたのです。



利用とつながりを継続するために、組合員として力を貸そう

「よくする会」のメンバーは、お店を利用していた組合員が生協利用を続けられるようにと宅配への加入を呼びかけました。閉店と時期を同じくしてお店のすぐ傍の施設を借りて「富士見台ステーション」としてスタートしました。商品の搬入や仕分けなどをメンバーで担ったのです。当初借りられたのは2階。「みんなで階段に並んで、品物をリレー形式で運んだね。しんどかったなあ。」と当時を振り返り笑顔で話してくださいました。また、生協商品の利用だけではなく、引き続き地域の人たちがつながる場としての役割も担っていきたいと「ふれあいサロンなないろ」がスタートしました。地域の高齢者に向けたサロン活動、おせちの試食会、環境問題、2011年には東日本大震災の復興支援として万華鏡活動(※2)にも取り組みました。「富士見台地域のために活動してきたのではないのです。富士見台の人たちと共に、社会現象にも目を向けて、組合員活動を広げてきたのです」と、桝本さんはおっしゃいます。


▲月1回開催していたふれあいサロンなないろの様子



どうしたら生協を広げられるだろう

みなさんの活動の礎となったのは、「どうしたら安全安心な食べ物を子どもたちに供給することができるか。」ということ。お店のオープンや存続など、生協が大きくなったその先にあるものが明確だったことは、「私たちの願いの実現を私たちの手で」という主体的な取り組みにつながりやすかったのかもしれません。


他のミニコープのお店にも、その店を基点に生協の発展に尽力した組合員の地道な活動が、今日のコープしがの礎になっていることも忘れてはなりません。



最後に、40年を振り返ってひとこと



 

私は、ここで生まれたつながりの輪のほんの一部でしかないですが、その中に身を置くことができてとても楽しかったです。(池田さん)



 

ここには、本当にたくさんの方が関わってこられて、私たちはその一部ですが、よく頑張ったなと自分を褒めてやりたいくらい、濃くて充実した毎日でした。(生杉(おいすぎ)さん)



昔は人とのつながりも密で、昔の方がよかったと思いがちでしたが、今の時代に合わせて変えていくことも必要だと感じるようになってきました。どんな形が今にふさわしいのか考えていくことが大切だと思います。(前川さん)


生協の地域に根差した地道な取り組みを自治会に認めてもらい、学区の夏祭りにも長年参加することができました。生協を大きくしたい、広げたいという思いで頑張ってきたから、何より嬉しかったです。家族の支えがあったからこそ頑張れたことです。(桝本さん)




今日も生協、明日も生協の毎日でした。こんなに長く、生協に関わることになるとは思いもしませんでした。始まりは、40年前に運営委員を決めるために6人でしたじゃんけん。今日までたくさんの方々と出会い、勉強や経験を重ねることができ、強いきずなで結ばれた仲間にも恵まれました。つくづくあの日、じゃんけんに負けて本当に良かったと思います。(大西さん)




富士見台の組合員活動が、これほど力強く長く続いたことは、大西さんという柱があってこそ。そこに集まった人たちの人柄の良さと絆の強さに感動します。(市吉さん(元組合員理事/元理事長))


※1)運営委員会:大津生協時代の組織で、事業・機関・組織全ての運営に関わって、地域の中で生協の良さを広める役割を担っていた。


※2)万華鏡活動:ボランティアによる万華鏡の製作販売で得る利益で万華鏡の材料を購入し、被災地に贈る取り組み。被災地では万華鏡作りワークショップを開催し被災者のケアに活用された。



最近の記事
ページトップへ